京都ぐるり
みなさま、こんばんは~
早くも、1月が終わろうとしていますね~。
年々、時間が過ぎる事が早く感じるのは、私だけ・・・・・
今日は、京都の西から、中~北~東~南とぐるっと回りました。
その中で、今日は南にスポットをあてましょう。
伏見区にある月桂冠大倉記念館様にお伺い致しました。
中に入るとお酒のいい匂いが漂っていました。

今日は、額装の修復依頼でお伺いしましたが、私は初めて来ましたので
無理を言ってちょっと見学させて頂きました。
月桂冠株式会社
歴史は古く1637年、伏見にて創業。(当時の屋号は笠置屋)
館内には昔の帳場や樽つくりの道具類や酒造りの工程道具、
ポスターや資料類がたくさん展示してありました。
売店もあり、試飲もできますのでお酒好きには良いですよ~
その中で、見覚えのある資料が!
学芸員の方に許可を得て撮影しました。

玉泉(たまのいずみ)詳しい説明はクリックしてください。
1637年の創業からの酒銘。
約2年前にレプリカ作製をさせて頂きました。
CMでも流れてましたね~。
たくさんの方に見てもらえてる事に、改めて感激し「ありがたいな~」と思いました。
近くには寺田屋はじめ、伏見城も近くですので
おすすめスポットですよ~ぜひ見学に行ってみてくださいね~
まご
早くも、1月が終わろうとしていますね~。
年々、時間が過ぎる事が早く感じるのは、私だけ・・・・・

今日は、京都の西から、中~北~東~南とぐるっと回りました。
その中で、今日は南にスポットをあてましょう。
伏見区にある月桂冠大倉記念館様にお伺い致しました。
中に入るとお酒のいい匂いが漂っていました。

今日は、額装の修復依頼でお伺いしましたが、私は初めて来ましたので
無理を言ってちょっと見学させて頂きました。
月桂冠株式会社
歴史は古く1637年、伏見にて創業。(当時の屋号は笠置屋)
館内には昔の帳場や樽つくりの道具類や酒造りの工程道具、
ポスターや資料類がたくさん展示してありました。
売店もあり、試飲もできますのでお酒好きには良いですよ~

その中で、見覚えのある資料が!
学芸員の方に許可を得て撮影しました。

玉泉(たまのいずみ)詳しい説明はクリックしてください。
1637年の創業からの酒銘。
約2年前にレプリカ作製をさせて頂きました。
CMでも流れてましたね~。
たくさんの方に見てもらえてる事に、改めて感激し「ありがたいな~」と思いました。
近くには寺田屋はじめ、伏見城も近くですので
おすすめスポットですよ~ぜひ見学に行ってみてくださいね~

まご
稲葉山に出陣!?
みなさま、こんばんは~
今日は岐阜に出張でした。
岐阜市歴史博物館にお伺いしました。
岐阜市歴史博物館は岐阜城の麓にあります。
今まで何度かこの地を訪れてはいましたが、岐阜城に登ったことがありませんでした。
戦国時代、大好きなオッチャンは、
お昼休みを利用してダッシュで登城しました。

ロープウェイで約5分程で山上に到着。
山裾では信長公の館跡の発掘調査もやっていました。
今回は時間が無いのでロープウェイの中から見学。
登山道ですと40分~60分かかるそうです。
現在は、織田信長が命名した金華山(標高329メートル)以前は稲葉山。
思ったよりも高く感じました。
山上駅から徒歩7分程でお城に到着!
念願の岐阜城~、時間が20分しか無くバタバタで見学。

資料館もありましたが時間が無く断念。
お天気が良くて見晴らしは最高でした。
斎藤道三、織田信長・・・
すごい方が見ていた景色だと思うと感無量。
眼下に広がる、鵜飼で有名な長良川。

天守をぐるっと1周りして下山しました。
今度はゆっくり見たいですな~。
ちょっと雑学を・・・戦国好きの方は知っているとおもいますが、
以前の稲葉山城(現岐阜城)、山の名前が美濃の国人・稲葉氏からのルーツらしいのですが、
戦国時代に守護大名、土岐頼芸(とき・よりのり)・斎藤道三・義龍・龍興・織田信長
豊臣秀吉に仕えた、美濃3人衆の一人、稲葉良通。
この良通さん、後に入道し名前を一鉄に変えました。
稲葉一鉄・・・・・めちゃめちゃ頑固者だったらしく
頑固一徹の語源になったそうです。
おそらく。。。
まご
今日は岐阜に出張でした。
岐阜市歴史博物館にお伺いしました。
岐阜市歴史博物館は岐阜城の麓にあります。
今まで何度かこの地を訪れてはいましたが、岐阜城に登ったことがありませんでした。
戦国時代、大好きなオッチャンは、
お昼休みを利用してダッシュで登城しました。


ロープウェイで約5分程で山上に到着。
山裾では信長公の館跡の発掘調査もやっていました。
今回は時間が無いのでロープウェイの中から見学。
登山道ですと40分~60分かかるそうです。
現在は、織田信長が命名した金華山(標高329メートル)以前は稲葉山。
思ったよりも高く感じました。
山上駅から徒歩7分程でお城に到着!
念願の岐阜城~、時間が20分しか無くバタバタで見学。


資料館もありましたが時間が無く断念。

お天気が良くて見晴らしは最高でした。

斎藤道三、織田信長・・・
すごい方が見ていた景色だと思うと感無量。

眼下に広がる、鵜飼で有名な長良川。

天守をぐるっと1周りして下山しました。
今度はゆっくり見たいですな~。

ちょっと雑学を・・・戦国好きの方は知っているとおもいますが、
以前の稲葉山城(現岐阜城)、山の名前が美濃の国人・稲葉氏からのルーツらしいのですが、
戦国時代に守護大名、土岐頼芸(とき・よりのり)・斎藤道三・義龍・龍興・織田信長
豊臣秀吉に仕えた、美濃3人衆の一人、稲葉良通。
この良通さん、後に入道し名前を一鉄に変えました。
稲葉一鉄・・・・・めちゃめちゃ頑固者だったらしく
頑固一徹の語源になったそうです。

おそらく。。。
まご
厄払い
みなさま、こんばんは~
休日、門戸厄神へお参りに行ってきました。
私は今年、前厄です。
駅から参道を歩いていると、小5の三女が「厄払いってなに?」と聞きました。
間髪入れず、中一の次女が「マヤクよけ?」・・・・・
マヤク→麻薬?
なんでやねん
「警察24時の見すぎか
」とツッコミを入れ
路上で爆笑してしまいました。(ボケたのか天然なのか
)

10時頃に行ったのですが、すでに大勢の人がいました。
厄除けのお寺・門戸厄神は関西ではかなり有名です。
さっそく御祈祷の手続きをして列に並びました。

並んでいる時に、ちょっと気になったんですが、
大体の方が本堂の前で柏手を打っていました。
ここは門戸厄神・東光寺・・・お寺なんです。(高野山真言宗)
神の文字があるから、皆さん神社と勘違いをされているみたいでした。
後で待ち時間の間にお坊さんから説明がありましたが・・・
御祈祷して頂くまで約2時間程待ち、やっと本堂に、
お経をあげてもらい一人ずつ住所・名前・年齢を丁寧に読み上げもらいました。
気分もすっきり!
後は自分の気持ち次第だ!
お札とお守りをもらい帰宅。
仏壇にお供えしました。
前進あるのみ
さあ、これから頑張ろ~
まご
休日、門戸厄神へお参りに行ってきました。
私は今年、前厄です。
駅から参道を歩いていると、小5の三女が「厄払いってなに?」と聞きました。
間髪入れず、中一の次女が「マヤクよけ?」・・・・・
マヤク→麻薬?

なんでやねん

「警察24時の見すぎか

路上で爆笑してしまいました。(ボケたのか天然なのか


10時頃に行ったのですが、すでに大勢の人がいました。
厄除けのお寺・門戸厄神は関西ではかなり有名です。
さっそく御祈祷の手続きをして列に並びました。

並んでいる時に、ちょっと気になったんですが、
大体の方が本堂の前で柏手を打っていました。
ここは門戸厄神・東光寺・・・お寺なんです。(高野山真言宗)
神の文字があるから、皆さん神社と勘違いをされているみたいでした。
後で待ち時間の間にお坊さんから説明がありましたが・・・
御祈祷して頂くまで約2時間程待ち、やっと本堂に、
お経をあげてもらい一人ずつ住所・名前・年齢を丁寧に読み上げもらいました。
気分もすっきり!
後は自分の気持ち次第だ!
お札とお守りをもらい帰宅。
仏壇にお供えしました。
前進あるのみ
さあ、これから頑張ろ~

まご
観に行きました~「TOPDOG/UNDERDOG」
初仕事!?
みなさまこんにちは~
2013年の初仕事です。
今回は東京神田・神保町の古書屋さん、秦川堂書店様のご依頼の作品です。

みなさまの中には、お正月に飲まれた方もいらっしゃるかも~
当時の工場の情景が分かる貴重な資料です。
この資料は用紙に刷られたもので右端には明治二七年とあります。
かなりの劣化でバリバリに割れています。
紙自体が酸化し、劣化して割れたり破れたりしていきます。
和紙の場合は、繊維が長いので水に濡れたりしない限り劣化する事は無いのですが、
洋紙(パルプが多く含まれている紙)の場合は、繊維が短く酸化するとかなり弱くなります。
現在では、市販されている洋紙(ノートなど)は中性紙の物が大半ですが・・・
考えてみると、当時に資料の大半は保存する目的で作られていなかったので、
当然と言えばそうなのですが、現在の物も100年後には、大変貴重な資料になるかも
すみません、話が脱線しました
そこで、資料に脱酸処理(酸化している紙を弱アルカリ性~中性化する)をし、
折れている部分には折れ伏せ(薄美濃紙の帯・細長く切った和紙)を入れ、
欠損部分は補紙をあてがい薄い和紙で裏打ちして補強しました。

劣化していた所や、折れていた所は直りました。
どうでしょ~か?(笑)
ザクッとですが、今日は洋紙の資料についてご紹介しました。
まご
2013年の初仕事です。
今回は東京神田・神保町の古書屋さん、秦川堂書店様のご依頼の作品です。

みなさまの中には、お正月に飲まれた方もいらっしゃるかも~

当時の工場の情景が分かる貴重な資料です。
この資料は用紙に刷られたもので右端には明治二七年とあります。
かなりの劣化でバリバリに割れています。
紙自体が酸化し、劣化して割れたり破れたりしていきます。
和紙の場合は、繊維が長いので水に濡れたりしない限り劣化する事は無いのですが、
洋紙(パルプが多く含まれている紙)の場合は、繊維が短く酸化するとかなり弱くなります。
現在では、市販されている洋紙(ノートなど)は中性紙の物が大半ですが・・・
考えてみると、当時に資料の大半は保存する目的で作られていなかったので、
当然と言えばそうなのですが、現在の物も100年後には、大変貴重な資料になるかも

すみません、話が脱線しました

そこで、資料に脱酸処理(酸化している紙を弱アルカリ性~中性化する)をし、
折れている部分には折れ伏せ(薄美濃紙の帯・細長く切った和紙)を入れ、
欠損部分は補紙をあてがい薄い和紙で裏打ちして補強しました。

劣化していた所や、折れていた所は直りました。
どうでしょ~か?(笑)
ザクッとですが、今日は洋紙の資料についてご紹介しました。
まご
謹賀新年
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